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日本発明物語


日本の特許制度は、1884年(M17年)に農商務省工務局に商標登録所を、翌年に専売特許所を設置。そして1886年(M19年)に先の商標登録所と専売特許所を統合し、特許局として発足したのが始まりで、その初代局長が高橋是清である。ちなみに彼は財政能力を買われ6度の大蔵大臣と、20代目の内閣総理大臣に就任している。しかし1936年に起きた二・二六事件でその生涯を閉じた(享年82)。

ところで、特許=「Patent」の語源は、ラテン語の「Patenttes」("公開する"の意)であるといわれているが、中世ヨーロッパにおける絶対君主制の下での王による、報償や恩恵の形として、特許状(Letters Patent) を与えることで、商工業を独占する特権や、発明を排他的に実施する特権を付与することがあった。もっともこれは恣意的なもので制度として確立されたものではない。

制度としての起源はヴェネチア共和国において、1474年に成分特許法である発明者条例が公布されたことに始まるとされる。その後1623年にイギリス議会で制定された専売条例は、それまでの国王による恣意的な特許を制限し、発明と新規事業のみを対象に一定期間(最長14年間)の独占権を認め、権利侵害に対しても損害賠償請求を規定したものだった。したがって、この条例の制定により、近代的特許制度の基本的な考え方が確立されたといえる。そして1883年には、工業所有権の保護に関するパリ条約の締結、内国民待遇の原則、優先権制度などの特許に関する国際的基本原則が定められた。

日本において、1871年(M4年)に専売略規則が公布。ただしこの制度は国の運用も未熟なままに利用されることなく翌年には中止された。その後1885年(M18年)4月18日専売特許条例が公布、施行された。1888年(M21年)には審査主義を確立した特許条例を公布。
1899年(M32年)には旧特許法を制定し、パリ条約にも加入した。そして1922年(T11年)において先願主義が採用された現在の特許法の基礎が作られた。

日本人の発明と云うと、田中久重、豊田佐吉、早川徳次等、例を挙げたらきりがないが、以下に少しだけ紹介しようと思う。

田中久重− または「からくり儀右衛門」という名のほうが有名である。からくり人
             形の「弓曳童子」や「文字書き人形」そして和時計である「万年時計」
             の製作が有名なものである。また彼は「東芝」創業者の一人でもある。

豊田佐吉−

早川徳次−

亀井勝治郎−

屋井先蔵−

佐川眞人−

高柳健次郎


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